エンジニアがやりたい仕事に就く方法②

こんにちは!エムズクリエイティブシステム(MCS)の牧野です。エンジニアと現場をつなぐSES事業の会社を経営しています。

新型コロナウイルスのワクチン接種がなかなか進まない日本の現状に、やきもきする今日この頃ですが、春めいた気候に救われています。新年度が始まりましたが、採用面接は継続中。日々いろんな経験値や価値観がある方々とお話し、刺激を受けています。

何がやりたいのかよく分からなかった

さて前回は、「エンジニアがやりたい仕事に就く方法①」というテーマで、書きました。今回は、かつて経験や技術がなかった私が、やってみたかったECサイトの開発に就けた方法について、お話ししたいと思います。

20代からとにかく“打席に立った”方がいい理由」でも少し自己紹介しましたが、私は社会人になって10年以上、通信系の開発に携わってきました。やりたい仕事に就いていたわけでも、やりたくない仕事に就いていたわけでもありません。何がやりたいかがよく分からないまま、「自分の技術で役立つ仕事があればやります」というスタンスで仕事をしていました。将来を見越してキャリアを積み重ねていくというような計画性のあるタイプではなかったですが、仕事自体に決定的な不満もありませんでした(ブラックな働き方をしていましたが…w)。

そんななかで違和感を覚えたのは、37歳(2012年)の頃でした。携帯電話システム(4G)の開発をしていたとき、ふとプロジェクト全体を見渡してみると、「あれ?人が減っている?」と気づきました。さらに、この分野の仕事自体が減少していることをひしひしと感じるようになり、3年後、5年後、10年後を想像したときに、この分野にしがみついていたら仕事が先細るかもしれないと不安を抱くようになりました。本当に先細って未知の世界に突入すれば、通信系エンジニアは飽和状態になって間違いなく仕事の取り合いになる。そして、仕事の単価も下がるだろうと思いました。通信系業務が激減するという確証はなかったですが、悠長にしていられないという気持ちが膨らんできたのです。

そのときに初めて、通信系以外の開発にチャンレンジしたいと思いました。目を向けたのは、当時、Amazonや楽天のショッピングサイトやモールが勢いを増していた、EC系の仕事です。今後のさらなる発展性を感じていました。


なぜ声をかけてもらえたのか?

ただ、通信とECでは必要となる技術や業務知識が全く異なり、簡単にEC系のエンジニアには転身できません。それがなぜ、ECサイトの開発部隊に入れたのか。結論を言うと、偶然にも決裁権を持つ取引先の上司に、「ECサイトのお仕事があるけれど、やる?」と声をかけられたからでした。「なんだ、偶然声をかけられたから、やりたい仕事に就けたのか」と思った方が大半だと思います。でも、エンジニアが数多くいる中で私に声がかかったのは、基本的にノーと言わず、いろんな仕事や現場で挑戦して何とか乗り越えてきた実績があったからです。それを見てくれていた上司が、「こいつだったらやってくれる」と思い、声をかけてくれたのでした。

ただし、ECの開発経験も技術もない私に声がかかるということは、必ず何かあるはず。案の定、上司の話には続きがありました。「ただし、激しく燃えているよ(炎上しているよ)。残業時間3桁は覚悟してね」と。

今となっては運がいいのか悪いのか分からないですが、当時の私は、仕事の幅を広げられるチャンスだと捉えました。非常にキツい現場だと予想できましたが、「行きたいです!」と思い切って手を挙げ、飛び込んでみたのです。

仕様調整の仕事しかやらせてもらえなかった

参加したプロジェクトの残業時間は、月100時間ほど。入社2〜4年目の現場で、「最高月200時間残業」を経験していた私は、まぁ、大丈夫だろうとタカをくくっていました。でも、残念ながらあの頃から10歳以上も年をとっており、30代後半での久しぶりの炎上現場は辛かった…。一方、その体力的な問題を除けば、「炎上をどう振る舞って鎮火するか」「決まらない仕様はどう動けば決まるのか」など、長年の経験値が役に立ち、慌てずに対応できました。専門用語や技術、業界の作法なども調べて周りに聞きながら、実戦で身につけることができました。

もちろん最初から設計や製造をやらせてもらえたわけではありません。炎上現場での最初の仕事内容は、お客様からの要望を仕様としてきちんと形にし、開発チームに引き渡すまでの仕様調整でした。

最初に立ちはだかった関門は、プロジェクトに入って3日目。本当に何も分からないなかで、「この仕様を決めるのはあなたです」と、チームリーダーから言われました。冗談かと思いました。さすがにそれは無茶だろうと、「どうしたらいいですか?」という意味でお伺いをたてると、チームリーダーからは、「この仕様の責任者は牧野さんだから、牧野さんが決めてください」の一点張り。

プロジェクトに入って3日目の人間が、ベースとなる母体の仕様も知らないまま、商品表示に関する仕様を決めていいのか?と疑問に思いました。でも、やれと言われれば、やらなければいけないのがエンジニアの常。炎上案件には慣れていたので、経験と知恵と勘で何とか自分で決めました。こんなときは100点満点を目指すより、60〜70点のものを一度提出し、相手の反応を見ながら調整します。何度かのやり取りで修正を重ね、第一関門は何とか乗り越えることができました。

「どうしたら、オファーがくる自分になれるのか?」と考える

その仕様調整が一段落したタイミングで、次の案件として「新規ECサイトの試験」を依頼されました。もちろんこちらも無茶振りで、試験完了日やサイトオープン日は決まっているが、具体的な作業が何も決まってない真っさらな状態でのバトンパス。試験実施要綱、工数見積もり、チーム体制、詳細スケジュールなどを決めていくと同時に、エンジニアの募集をかけながらチームを作り、試験を進めていきました。何もかも同時並行に走らせながら、作業を整理して進めていったイメージです。

試験関連の作業を一手に任された私は、「仕様通りに進めると、サービスが始まったときにこういう問題が起こりうるかもしれない」といった懸念や気になったことを、SIerとの進捗会議で必ず報告していました。

すると、SIerの管理職から「そこまで問題提議をするなら、次期開発をやってみるか」と言ってくれて、念願の開発に何とかたどり着けることができました。実はこれは、開発の仕事に就くための私の計算でした。提議し続ければ、「このプロジェクトで開発をやらないか?」、もしくは「別のECサイトで開発をやってみないか?」など、必ず言ってもらえると思っていたからです。

キツそうな炎上案件や、自分が希望しない仕事内容だったとしても、自分がやりたい仕事に近づく可能性を感じるのなら、私だったら飛び込んでみます。そして、「どうしたら、オファーがくる自分になれるのか?」と考えながら、日々の言動につなげる。特に、経験が浅く、若い人ほど、食わず嫌いというか、やることを狭めすぎない方がいいと思います。

今はやりたい仕事が手に入らなかったとしても、しっかり地固めをしていくことで、必ず見てくれている人や声をかけてくれる人がいると、私は思っています。当時はあまり意識していませんでしたが、振り返ると、私は「誰にアピールすれば響くのだろう」と考えた言動を常に取っていたようにも思います。

もちろん、心身が壊れるような現場で頑張る必要はありませんが、希望ではない仕事内容でも、一度飛び込んでチャレンジし、「オファーがもらえる自分」「やりたいことができる自分」になれる方法があることをお伝えしたいです。どんな入り口でも、「この人と働きたい」「この人に任せたい」と思ってもらえればいい。結局、仕事やキャリアは、人と人との縁や信頼でつながり、築いていくものですから。